Co-lifeSpace独自メソッド「マルチタスク学習法」とは。
高校入学ぐらいから音楽にのめりこみ、反抗期と相まってどんどん落ちこぼれていった僕は、いつしか勉強嫌いになっていました。中学まではあれほどまでに楽しかった数学、国語、英語、どの教科も好きになれずになんとか大学進学。大学ではもちろん勉強などせず音楽とサッカーにのめりこむばかり。
そんな僕にとって一つの大きな機転となったのは、30歳にして就職した地元の学習塾での経験でした。小さな個別指導塾でしたが生徒は小学生から高校生まで多様な生徒さんたちでして、落ちこぼれ間近の子から東大京大を目指す子まで幅広い層を教える経験はとても貴重でした。
何が貴重かって、重要なことはそれぞれの学びの目標を立て実行することであり、受験はその先であり通過点であるってことがわかったのです。何を綺麗ごとをと言われるかもしれません。ところが、僕が東京大学大学院を受験しようと決めたのはそうした多様な子供たちとの出会いが大きな刺激となってのことでした。受験でも就職でも人生でも、あきらめた時点で終わりだなというのは有名なマンガのセリフに全く異論はありません。中学、高校、大学、就職、社会人、家族、どこに挫折があるかはまだ分からず、分からないままに歩んでいくのが人生です。
演劇学を学術的に学ぼうと一念発起して東京大学総合文化研究科に入学した僕でしたが、象牙の塔の壁といいますか、大学院での勉強は学びとは程遠かったという理想と現実のギャップに悩まされ中退してしまいます。この判断に全くの後悔はなく、むしろこの判断がなければ今の自分はなかったと人生でも数少ない英断だったと思います。
学ぶことが今も昔も好き、でも頭はよくないから長時間の学習や研究職には向かない。そんな僕が一般社会で働いて改めて学ぶことの重要性を実感し、それを同じような子供たちにメソッドとして体験してほしいこと、それがマルチタスク学習法となります。
補足ですが、これまでの学習法で十分という地頭の良い方はもちろん変える必要なんて全くありません。小学生~高校生まで45分~60分、70分というタイムラインで一教科を学びますよね。これって本当に誰にとってもベストで科学的根拠に基づいた学習法なんでしょうか。
僕は自身の経験上、またこれまでの指導経験からしまして違う学習法、タイムライン設計もあるのだと考えます。
従来の学習法は研究者型=45分~60分を1教科集中型で実施するものになります。
地頭のよいこ、集中力がある子はこれで全く問題ないでしょうが、果たしてそうでない子はどうでしょう。その教科に苦手意識を持つ、嫌いになる、勉強しなくなる。そんな経験ありませんでしょうか。
さて、よく子供からある質問で、社会に出て数学は必要ですか、化学、英語は本当に必要ですか、という問いがあります。果たしてあなたはそれにどう答えますでしょうか。正解はいくつもあります。必要だと断言することもできれば、不要だと言い切ることもできます。肝心なことはあなたがそれを説明できるか否かです。てらこ屋ではそういったことも学びの機会となります。
僕が提唱するマルチタスク学習法は、学習時間は45分~60分と従来と同じですがその間に3教科、もしくは4教科を学習していきます。これは何に基づいているかといいますと、今の僕の仕事の仕方にその原点があります。朝目が覚めてパソコンを開いてWebブラウザを開くと、まずメールソフトを閲覧し、その後にデータ分析のデータファイルを開き、上司に英文メールを書きながら、電波計測で公式を見つめながら統計データを図解する、海外との会議がてらに日本語メールを返信する、お昼を食べてから散歩がてらに出社するか機器設置のために出張する、そんな作業を同時進行か交互に行う毎日です。一件大変そうですが、実はこれをすることで自分の脳がいつもルンルンしているのを実感できるのです。毎日データ分析するだけではおそらく飽きます。毎日英文メールを書いているだけでもだめ。全てを同時進行、もしくは交互に実施するからこそ飽きずに楽しく仕事ができているのです。
そのことを子供たちの学習法に取り入れれば、楽しく、飽きずに学べるだろう、というのがこの学習法の発端となります。
受験はさておき、長い人生のおいて本当に重要なことは、目の前の問題に正解することではなく(それができれば御の字ですが)、間違えても繰り返し解こうとする、もしくはなとかしてその問題を解こうとする継続力なのだと自身の経験上自負しています。
え、本当に、と思われるかもしれませんが、是非一度お試しください。著名な数学者はとっても有能な詩人たちです。そして彼らはよく散歩しながら数学の問題を考えることが効果的だといいます。さて、なぜでしょう。適度に体を動かし、景色の移り変わりで脳を刺激しているからではないでしょうかね。詩を書くことと数学の問題を解くことは実は類似しています。どれだけ無駄を省き、美しい記号(言語、数式)で最大限の表現をするか、なのです。
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